タイトルは後からついてくるものだと思っていたよ
タイトルって顔見たいなもので、その内容を表すものだからからやっぱり後からつけるものなのかなあと思ったりするけど、でも勢いで僕はつけちゃう派。
まあどうでもよくて、人って信じたいものを信じてしまうと思うわけ。僕は専攻は医療系で、もちろん臨床ではないから、机上論でしかないわけだけれど、自分が勉強してる内容が嘘だらけなんて思わない。
よくある、ワクチンは不要だとか癌はサプリで治るだとか。それを正すようなお人好しでもないしまあどうぞとも思うんだけど、無くなって欲しいなあと思う。
過激派ではないにしろ、意外と聞くともうのが"
採血し続けたからやせ細った"とか"抗がん剤を使ったから状態が悪化した"の2つ。ん!?ってなる。
そんなことを言う前にほんの5分でいいから一度考えてみて欲しい。
どう考えても病気が進行したから痩せてるんだろう…1回何ミリ採血すると思ってるんだ。
採血量よりも多く栄養が取れないのであればもはやそれが病気だし、その分の血液が作れないのであれば、造血管系に異常をきたしているわけ。
抗がん剤にしたってそう。まずそれぞれの薬の作用機序わかってるの?
DNAをアルキル化したり、免疫系を抑制したり。どう考えたって"ガン細胞だけ"に効かせる方法なんてあるわけがない。もちろん今の技術でお金があればそれが可能だと思うけれど、普通に病院で使われているレジメンに、そんな高額な薬ばかり入れることはできない。
免疫抑制したらどうなると思う?
そりゃ感染症にかかるよ、だって抗原抗体反応が起こせなくなるんだもん
DNAアルキル化したらどうなると思う?
そりゃ体の至る所でうまく新しい細胞を作れなくなってしまうから、副作用たくさんおこるよ。
でも
ガン細胞を減らすor 侵攻を遅らせることができるvs 副作用
を考えて治療系統が決まってるわけ。
こんなの勉強してる人にとってはあまりに当然のこと。でも今の世の中は何でも情報が得られるから、調べたらこの程度の勉強して得たことでも、誰にだって調べることができる内容ばかり。
でも、それじゃあわからないことがある。情報を正しく取捨選択する能力。
他の学問を軽んじているわけでは決してないのだけれど、医学だけは他の人の命を直接取り扱う。つまり、自分の信じたい情報が本当に正しいのかどうかを見極められないくせに、堂々と歯向かってくるということが、何を意味するのか考えないといけない。
調べたらわかる?本当にわかってるのか誰が確かめてくれるの?
馴れ合いの中でそれが正しいよねえって言ってるだけの人と、常に他人から批判的吟味をされ、洗練されてきた情報とが同じ質なのか。馴れ合いの中で叫んでるだけの人の頭から出てきた情報と、常に選択を迫られる極限状況の中で、いままで磨いてきた知識をさらに研ぎ澄ませている医療人の情報と、どちらが信用に値するのか。
今の日本人は特にそのぬるま湯で得た知識を振りかざして、叫ぶだけ叫ぶ人があまりに多すぎる。なぜかそれが医学には多くて、学問として学んだことがない素人が叫ぶ、耳に優しい言葉(サプリを飲めばガンが消える・癌なんて存在しない) を信じてくる人達。なぜそれを信じたのかはよくわからないけれど、その情報源は、毎日極限的に学んでいる医療従事者に向けて発して恥ずかしくない情報源なのか、今一度考えるべきではないのかと思う。
じゃあなぜネット上では正しい情報よりもそんな素人の発する声の方が大きくなってしまうのか。答えは簡単で、素人の方が暇だから。
今、医療従事者は長時間労働が当たり前で問題にもなっている。正しい情報を民間に向けて何度も何度も発する暇がない。一方素人で"耳に優しい情報"を発してるような人は、暇。断言するけど絶対そっちの人の方が暇。
暇な人がネットでぽちぽち検索して抗がん剤が〜とか叫んで、叫びあってるから暇な人同士が見つけあって共鳴して、なんだかネット上ではよく見かける理論が出てきてしまっている。
大半の人がそんな情報信じないよと思ってはいるだろうけど、人は困ったりどうしようもない時に、"目や耳に優しい情報"を優先してしまう。だから、そっちを信じて根拠のある薬物治療をやめ、結果的に死期を早めてしまったりだとか、それまでの治療の努力が無意味になってしまったりだとかが横行してしまう。それを防ぐためにもら常に得た情報が正しいのかどうかを考える必要があるし、暇な人の"情報"がこの世からなくなればいいと僕は常に思っている。
メルカリ便でおとどけしまあす
さてと、なんかせっかくだし勉強しておもしろいなあと思ったこととか書こうかしらね。
いいか悪いかは置いといても、同じ大学の違うキャンパスで、この間友達の授業に出たのよ。いるだけでいいって言われてたから自分の勉強してたんだけど、自分の専攻じゃない分野ってとっても面白いのね。体の構造勉強してたのに、気づいたら誰よりもまじめにその授業聞いてた(気がする)笑笑 専門用語は全然わかんなかったけど…
勉強してるよりも面白いなあと思った話なんだけど、そもそも僕はこの授業のタイトルすらわからなかった笑
多分経済学なのかな?
"イノベーションのジレンマ"についての話をしてて、4月からいわゆる優良企業って言われてるとこ行く僕はピコーンって反応して聞いてたのよ。
イノベーションのジレンマとは?って感じなんだけど、"優良企業が市場競争において没落することが多い"っていう理論…なのかな間違ってたらごめんなさい
そもそもまず優良企業とは?って話なんだけど
・客のニーズをよく聞く
・新技術と新サービスの開発に熱心
・高いシェアを持ち利益を出す
っていうのが"優良企業"らしい。
なるほど、、まあ僕はこれを聞いて浮かんだのがソニーくらいだったんだけども、社会のこと知らんなあまじで笑笑
じゃあなんでそんな企業が没落するの?って話。
まず最初に、すでにニーズぴったりの商品が流通してたとして、何が起こるかっていうと…お客さんが"○○の機能欲しいなあ…"とか"もっと○○してよ!"とか、今あるもの・サービスよりさらにいいものを求め始める。
これは何においてもよくある話だね。お客さんってだんだん今あるサービスが当たり前と思うわけで、飲食業を例に出すと、なんかサービスしたときにその時は感謝されるんだけど、
"この間してくれたじゃない! 今回はないの?"
とか。まあ図々しいとは思うんだけどそれが人間の心理よなあ…ってやつ。
これがどの業界・企業にも当てはまって、優良企業は上で言った通り、そんなお客さんのニーズに合わせて努力してくわけ。でも、これが積み重なるうちにいつの間にか、お客様のニーズを超えた商品が誕生するんだって。ぼくはここでへ??ってなったんだけど。まあ話を続けるね。
色々要求されるた"より良い商品"を作るにはどうしてもコストがかかるよね、そうするとやっぱり商品の値段が高くなる。
でね。まあ仮に市場にそれしかないなら、欲しい人はそれを買うじゃない。ただ、市場には同じ商品を作る別会社も当然ながらあるよね。今までシェアなんかなくても、別の路線、例えば低コストでお客さんのニーズにバシッとハマった商品が出てきてしまう。このことを、"破壊的技術"っていうらしいんだけど。その商品が出た瞬間、市場では
高コストでニーズ以上の商品 vs 安いけどニーズぴったり
の2つで競争が生まれる。
さあどっちが勝つ?
まあお金が余っている国なら知らないけど、安くてちょうど欲しいものがよく売れるよね。
じゃあ、優良企業は黙って見てるの?ってなるんだけど…残念ながら
・今までのシェアを取ってきたプライド
・高品質のものを作ってきたバリューチェーン
から脱却できずに、没落してしまう。
これがイノベーションのジレンマっていうらしい。
僕としては、なんで定義のはずの"ニーズよく聞く"に反して客の要望超えるの?と思ってしまうんだけど、これは僕が専攻じゃないから勉強不足による疑問なのかしらとか思ったり。
まあでも企業の母体が大きくなると客のニーズを正確に汲み取れないっていうのはなんかなんとなく肌で分かるんだけどね。世の中その機能いる!?っておもったり、いや欲しいのそれじゃないよ…って思ったりすること多いもんね。
まあなんにせよ、たまたま受けた授業で今まで考えもしなかったことを学べたのはとても面白かったなあ。
つい授業後にクリステンセンのイノベーションのジレンマの本買っちゃった笑笑
普通の勉強忙しくてまだ読めてないけど、読んだらもっと理解深まるかしら?
そんなこんなで世の中まだまだ知らないことばっかりだなあと思ったり。
絶望が人間を成長させるらしいじゃない?
たまたま読んでた漫画のセリフなだけなんだけどねこれ
ブログを書いた理由については昨日書いたんだけど、タイミングの話でも
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僕は昔から、何かを勉強するときにその本質をつかんで人に説明するのが上手というか得意だった。だから、わりとどんなことでも効率よく器用にできてたんだと思う。だからといって努力することが嫌いでもないし、正直言うと1〜5年までの成績は真ん中より下なのに、卒業試験は1週間前までがっつりバイトし続けたけど、特に問題なく受かってしまった。
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そうした、卒業が決まったけどまだ働かないそんなモラトリアムな期間にはじめた。
上で楽に受かったみたいな話を書いたけれど、まあ流石に勉強はしたと思う。でも僕がちゃんとできるようになったのは2回挫折…というか失敗をしてそれを忘れないようにしてきたからだと思う。
1度目は中学受験の時に受けたいわゆるお試し受験。東京の中学受験の人は基本は東京とかまあ首都圏の中学に行くと思うんだけど、だいたい受験本番の1ヶ月前の1月に、本番の感覚を掴みに行くという意味で地方の最難関中学をボコボコにしに行く。迷惑な話だけど笑笑
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僕は小学生の頃は、同級生の中でも間違いなく頭のいい方だったし、地方最難関なんていわゆる安全圏な成績だった。余裕ぶっこいて受けたら結果落ちてた。あり得なかった。親にも先生にもめちゃくちゃに怒られたし、自分で自分が許せなかった。
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でも冷静に分析すると、漢字は間違えるわ誤ったものを選べは正しいものを選んでたりと、完全に本番とは思えない集中力を発揮してた。漢字検定だって、小学4年か5年の頃には2級を余裕で受かってたわけで、間違えるはずもないのに。
まあでもそれがあったからこそ、そこから1ヶ月は鬼のように集中した。勉強して無事行きたいところ含め、受けたところはなんやかんや全部合格した。
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確かに成長してる。
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2度目の挫折というか失敗は、浪人だと思う。
でもこの浪人はわりとほんとに妥当。というかしなかったら本当にで人間ダメになってた。
中高6年間サボりにサボった。勿論全部全くダメでもなかったけど、ひどかった。
だからこそ1年間努力をするっていう時間は必要だったし、全くやらなければ僕はダメな人間なんだってそのあと6年間だらけそうになるのを止める要因にもなった。やれば絶対できるっていう自信にもなったけど、お陰で大火傷することはなかったなあと思ってる。
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国家試験までのあと1月半の遊べそうで遊べないそんな期間で、たくさんまた考えたことを書いていけたらなあと思って。
本能寺でずっと待ってるって言ったって
ずっとずっとずっとずっと
結局僕のインターネットの原点というか基盤になってるのは高校生の時に書いていたameba ブログ。そもそもなんでブログなんて始めようかと思ったのかな。
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思い出してみると、中学1年生の時にオシャレな友達が僕と喋りながらブログ書いてるのを見て興味を持った。
僕と話した内容だとか、打ってる最中の変換のミスとかすっごくどうでもいいことまで書いてた。でもそんな日常を書いてることも、一度もあったこともない人とつながってることも、そんな姿がなんだかとてもキラキラしてカッコよく見えた。当時僕は13歳で、数ヶ月前まで中学受験のことしか頭になかったし、勉強していい点数とることと、自分と直接触れる人だけが世界だった。なんだか、本当に世界が広がる気がしてワクワクしたんだと思う。
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実際にamebaを始めたのは中学3年生だったかな、本格的にめちゃくちゃ書いてたのは高校1年生の時。毎日書いてたし、無駄にアクセス数上がって高校生ランキングで4桁に入った時はとても嬉しかった。でもあれはよく考えなくても、僕のブログが、友人(?)たちのおもちゃにされてただけなのかなって思う笑笑
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当時のブログは閉じちゃったし、今となっては見返したいのか見返したくないのかよくわからないけど、でも断片的には覚えてる。思い出補正もあるだろうし、2chで晒されたりとか、オモチャにされたりいい思いでなのかよくわからないけど、楽しかったし青春だった。
そんなのが僕がインターネットの世界に飛び込むきっかけとなったブログについて。僕はこの淡く仄かに楽しい記憶に縋れる「ブログ」って言うものをまた書きたいと思った。
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当時の記憶はずっとずっとずっとずっと僕を楽しませてくれるから。
将来辛くなっても帰ってこれる場所、思い出、そんなものの一つになることを願って